ひきこもりのマーロン

マーロンの雑記ブログ

姜尚中『悩む力』を読書して

悩む力(姜尚中著)を読んでいる。まだ2章までです。ここまでの感想を残します。
行動することに価値を見出している現代。「悩むなら行動」、「時間を有限」と答えを探すと最もらしい答えに納得する自分がいて、わかってはいるものの焦って逆に進めなくなる。
技術進歩も早く、少しスタートが遅れるとあっという間においてかれる。このまま世界がずっと走り続けていく。
本書では、夏目漱石マックス・ウェーバーが書き残したものを手がかりに題名の通り「悩む力」とは、どういうものか教えてくれるんだとか。
100年前の日本でも「神経衰弱」という心の病があったらしい。漱石も神経衰弱に苦しんでいたと書いてあった。ウェーバーも精神病院に入院していたらしい。

第一章

『「私」とは何者か』と自分の存在を問うところで、「自我」と「自己チュー」という言葉が出てくる。
著者の姜さんも一時期は、自己チューだったのではないかと思っている。
次のように述べている。

一見するとナイーブな青年のように見えながら、じつは自分の拵えた小さな城から一歩も外に出ず、のぞき穴から外の世界を窺うように、すべての人間を疑ってかかり、ひたすら自分のことだけに熱を上げている、そんななかばナルシスト的な「自己チュー」だったのです。要するに、明けても暮れても自分のことだけしか頭になかったのです。

自我と自己チューの差は自分ことだけでなく、他の人のことにも悩んでいるか悩んでいないかの違いである。

自分自身がどちらかも今もまだわからない。
姜さんも自我の問題に『「解決できた」と言いきる自信はありません』と書いてある。

きっと永遠に悩み続けるのかもしれないと今の段階では感じる。

私は、読書をほとんどしてこなかったというか小説はほとんど読んだことがない。夏目漱石すら読んだ記憶もない。
大学で文学の講義を受けてたが何が何だかわからなかった。難しい言葉あっちこっち飛び交って、しまいには「大江健三郎川端康成は社会人の常識だから覚えておけ」これしか記憶にない。
本書に「漱石の小説がときに哲学よりも哲学的な印象を与える」この部分を見て、漱石を読みたくなってしまった。なぜかわからないが哲学には興味があって大学1年のときに図書館で哲学の本に手を出したことがあった。たしか・・・フロイトの本だった気がするが、内容がさっぱりわからない。すぐに負けてしまった。また3か月坊主が出てきてしまった。しかし哲学という言葉に必要以上に気になる。自分の芯がないからだと思う。


カール・ヤスパースの言葉が引用してある。

「自分の城」を築こうとする者は必ず破滅する

自分の城をいくら築こうとしても無理であって、人とのつながりでしか自我は成立しないとあった。そのためには、「まじめ」に他者と向かいあうことで突破口が見つかるかもしれないらしい。

「まじめに向かいあう」これは大事なのだろうと本当の自分と見つめ合いつつ他者とも向かいあう。みたいな感じなのかな

第二章

お金について書いてある。
ウェーバーは金持ちの家の子だったとのこと。でもウェーバーは成り上がりの金持ちが好きではなかったみたい。
なかなか難しい立場にあるなと自分は金持ちの子だが、金持ちを批判する。これでは精神病院に入っておかしくはないよなと感じた。
実際に自分がどの階級にいるからとかで悩みかたとかあまり変わらないのかもしれない。
漱石の小説の主人公は、時代に不満をもつが、それにたいしてあきらめてしまっているという共通点があったらしい。
なんとなくわかる気もする。不満があっても、どうしようもできないと感じるとあきらめてそのまま時間が過ぎていく。
そのときの時間の進みは早い。
最後にはお金の価値は不変と出てる。変わらない。でもお金がないと生活ができないから難しいです。


考えがまとまらない。もう少し読み進めていこう。