代助どっちどっちどっち~夏目漱石『それから』よんで~
夏目漱石の『それから』を読み終えた。
代助が親友の妻である三千代に恋をする。
そのときの代助の感情表現の部分が気になった。
凡ての娯楽には興味を失った。読書をしても、自己の影を黒い文字の上に認める事が出来なくなった。落ち着いて考へれば、考へは蓮の糸を引く如くに出るが、出たものを纏めてみると、人の恐ろしがるもの許であった。仕舞には、斯様に考へなければならない自分が怖くなった。代助は蒼白く見える自分の脳髄を、ミルクセークの如く廻転させる為に、しばらく旅行しやうと決心した。
自己の影を黒い文字の上に認める
「自己の影を黒い文字の上に認める」この部分は最初はよく意味がわからなかった。
しかし読書をしているときは少なからず本の世界に自分の身を置いていることはあるなと感じた。
とくに小説を読めば、ときに嫌悪感を覚えたり、感動したりする。感情移入をすることが「自己の影を認める」ことになるのだろうと思った。
「考へは蓮の糸を引く如くに出る」
蓮の糸?レンコンの糸のことかな?と思ったが、わからなかったので調べた。
広辞苑によると
蓮の糸
蓮の繊維を集めてつくった糸。極楽往生の縁を結ぶとの俗説がある。はすいと。
なにか特別な意味は、なさそうだ。
しかし三千代と結ばれることは、代助にとって極楽気分であることは間違いないとは思う。
「自分の脳髄を、ミルクセークの如く廻転させる」
ミルクセーク(ミルクセーキ)は、牛乳に卵黄、砂糖などを加えてかき混ぜたものである。
代助の頭の中は、「代助の考え」と「三千代への愛情」がぶつかり合ってる。
代助は、みずからを理論家(セオリスト)と思っている。理詰めをすることが多い代助にとって、「三千代への愛情」は説明できないから混乱している。
別々にわかれた自分の考えをいろいろな材料を混ぜ合わせたミルクセーキのように一つの考えを出したいのだと思った。
最終的には、おいしい部分だけ取り出したものになってしまったと感じてしまった。
まとめ
3つの文で代助の苦しむ姿を表現している。3という数が、読者に対してあっさりとしてなく、また長すぎない。つまり、ちょうどよい感じで苦悩を伝えることができているだと感じた。