読書とはー齋藤孝『読書力』ー
齋藤孝『読書力』
読書とは
読書をするとはどういうことなのかこの本ではわかる。読書を趣味として楽しむ人もいる。娯楽としては確かにあるが、この本では、自己形成の手段になるといっている。
何のために読書をするのか。読書をすると何がよいのか。こうした問いに対する私の答えは、たとえば、読書は自己形成のための糧だからであるというのものであったり、読書はコミュニケーション力の基礎となるからだ、といったものである。(p.4)
著者自身が読書から多くの恩恵をうけていることがこの本でわかる。また著者は、
「読書力」は日本の地力だからだ。私は、この国は読書立国だと勝手に考えている。(p.1)
確かに技術大国の日本にとって、知識は重要な資源だ。その資源としての本、そして読書は大切な手段と思った。
著者の設定する読書力があるとは、「文庫百冊、新書五十冊を読んだ」(p.8)である。
しかも「精神の緊張を伴う読書」をするの著者が望んでいる読み方。ある程度の難しさや本の著者との対話をするためにこの「精神の緊張」が重要なのだと思った。さらに「精神の緊張」が伴えば、当然読み終えた時の充実感は格別だと思った。読書とはとても真剣な行為なのである。
読書をする人は教養があると言われる。この本では、
教養があるということは、幅広い読書をし、総合的な判断を下すことができるということだ。目の前の一つの神秘にすべて心を奪われ、冷静な判断ができなくなる者は、知性や教養があるとは言えない。
専門力をつけていくことは大事なことだと思ったが、ここで自己形成の手段となる読書では総合力が大事なのだと思った。しかし、自己形成していく中で意識的に自分の考えに合わない本を選ぶなどしないとどうしても一つの考えに固執した自己形成がなされるのではとも思った。
読書はチームスポーツなんだと感じた。適材適所の本を入れることが優れた人格、自己形成がなされるのではないか。
とりあえずこの本の中では文庫時代を通ってから、新書時代に行くのが王道らしいので、新書から入った私は、文庫本を読みたいと思う。