ひきこもりのマーロン

マーロンの雑記ブログ

姜尚中『悩む力』を読んだ

imarlon.hatenablog.com

姜尚中『悩む力』を読み終わりました。
いろいろと気づきをもらうことができました。

1つ目の気づきは知性について
知性がどういうものかを取り上げている。
「まず情報通は知性なのか?」と問いがある。
私の情報通のイメージとして、幅広い分野知っていること、役立つ知っていること、面白い情報を知っているなどが思いつく。
でもそれは本当の知性なのか。この本が発行されたのが2008年です。まだ今ほどスマホが普及してない。
2008年の情報社会よりも2018年の今のほうが個人が手にいれることができる情報が増えているし、なおかつ手にいれやすい。
情弱(情報弱者)という言葉を聞くと何だがバカにされてるような気がする。
いろんな情報を知っているほうが良いと考えずに思う。
家でスマホを見続ける親なんてのも聞く。
私も情報をたくさん知っていることは良いことだと思ってた。
その情報をどれだけ人生で使うのか?知らなくてもよいことあるんじゃないの?
確かに知らなくて良い情報はあると感じてた。
そのためには

自分の世界を広げるのではなく、適度な形で限定していく。

「適度な形」っていうのも本のタイトルどおり悩んでいくんだろう。
広げ過ぎないようにすること。これもそれもと取っていくと自分がやりたいことが段々とわからなくなる。
お腹いっぱいになっちゃうし、「でも欲しい、情報をくれー」と禁断症状が出るなら、狭めるぐらいが丁度よいかもしれない。

この本の中で忘れないだろう、言葉がある。

究極的には、「信じる」ということは、「何かを信じる」ということではなく、「自分を信じる」ということになると思います。言うなれば、「一人一宗教」「自分が教祖」なのです。

現代は個人の判断もその人生もある意味「自由」だから、自分を信じれることが、力になるなと感じた。「宗教」、「教祖」を使うと勝手なイメージながら一枚壁がある感じがする。でも強さを感じる言葉だと思う。

最後にこのように締めくくられています。

若い人には大いに悩んでほしいと思います。そして、悩みつづけて、悩みの果てに突きぬけたら、横着になってほしい。そんな新しい破壊力がないと、いまの日本は変わらないし、未来も明るくない、と思うのです。

考えすぎる私にとっては、気持ちが楽になる言葉だった。
「横着になる」の意味をそのまま鵜呑みしてしまうと良くないが、悩みやすい、悩んでる人には優しさを感じる言葉。
この本を読み返したくなる日がこないよう「まじめ」に悩み続けたいと感じました。