夏目漱石「こころ」読書中。その2
前回から『こころ』の「中 両親と私」まで読書を進めた。
『こころ』についてと脱線
後半の部分で、先生自身が「私は亡くなっているかもしれない」と書かれた手紙の場面で、一気に物語として面白くなってきた。
そのまま「下 先生と遺書」になるのだが、寝る前に読んでいたので、ちらちら時計を見だした私。明日に予定があるはずでもないのに健康志向の私は、読みたい欲と眠るべきかと考えた末いつも通りに眠ってしまった。
本当なら読んでいるはずなのに、なぜ寝てしまうのか。
私の頭の中では、自分の娯楽の欲に己が負け続けてきた過去がある故に今がある。その後悔がやはり寝てしまうという行動になるのだろうと思う。
『こころ』の感想に話を戻そうと思う。
私の父が、体調を悪くして、どうなるのかというところも気になる部分だったが、それよりもこの部分が良いなと感じた。
『こころ』の中で私と兄は、「仲の好い兄弟でなかった」、「性格の相違」があると書いてある。あくまでも、語り手の私の視点でそう思っているが、私と私の兄が父の枕元で握手しているのが、これが兄弟の絆みたいなものなのかと感じた。
しかし、なぜ枕元で握手をするのか。そこが、なぜか私の疑問と笑いのツボに入ってしまった。
枕元で握手とは、どういう時にするのだろうか。でもしっかりと頭で画が見えた。確かな絆と小さな握手。目と目は、ほんの一瞬だけ見つめあう。こんな感じだろうと思う。これは『こころ』の中では話のちょっとした描写に過ぎないのだが、こんな部分でも気になる。はたして、先生はどうなっているのか。楽しみである。
速読と遅読について
私は、音読が好きだ。声に出して、発声して読みたい。だいぶ前に漫画を感情を込めて音読する人をテレビで見て笑ってしまった。しかし登場人物の感情を考えながら読むので楽しいし、理解もしやすい。これは遅読に入るのだろうと私は考えている。
遅読界があったら、完璧に変人タイプであることは間違いないと思う。
速読という言葉が、流行っているので、遅い読書をしなくなる人がいるかもしれない。読書好きでないと何でも速読してしまう人もいるかもしれない。
小説は、遅く読むに限る。最近、読書をし始めてから気づいたことです。
しかし、早く読む習慣があるとついつい早くなってしまう。読書の仕方を変える必要があるのだと考えさせられた。
もっと言えば、上手く読むジャンルによって使い分けることができれば良いと思う。