ひきこもりのマーロン

マーロンの雑記ブログ

常識でしょ!?という反応への違和感

まず想像してみてほしい。

そこは楽しい宴の真っ最中だ。家族の団らん風景かな。それとも久しぶりに会った同級生と食事会をしているのか。いや同僚との飲み会か。

どの場面でもいいが、あなたの頭のなかで強烈にイメージしたその風景のなかでの会話について。

 

おっ何か話しているようだ。ちょっと聞いてみよう。

「そういえば、いつも行ってるあの店もプラスチックストローが廃止になるみたいよ」

“へ~そうなんだ。なんで最近プラスチックのストローがなくなっていくんだろう”

「えっ!?ニュースアプリとかで確認しないのSNSでも見るよ。マイストローとか聞いたことない?」

“えっうそ!?はじめて聞いたよホントにー?”

「これだけ話題になっていたら普通に知ってると思ってた。常識でしょ?」

ストップ!!

これはごめんなさい。私のイメージを押し付けました。

 私が常々気になるワード「常識でしょ」または「常識」ってなんだってことだ。

 

常識についての勝手な考察

そもそも常識って何か。

広辞苑には

普通、一般人が持ち、また、持っているべき知識。専門的知識でない一般的知識とともに理解力・判断力・思慮分別などを含む。

記されている。 

つまり、常識はどこかで学ぶ必要があるのではないか?

先の会話でもプラスチックストローについて知らなければわからないだろう。

生まれてから死ぬ行くなか、その一定方向に強制的に進みいく時間軸のどこかで学ばなければ、常識はつかない。

しかし、勝手に常識がいつのまにか大人になると備わると思ってる方も多少いるような気がすると私は感じている。

 

問題点

常識という言葉が、なぜだが知らなければいけないような気がする

知らないだけで、自分のなかのプライドのロウソクの一つが、すきま風でスゥーっと消されたような感覚になる。

若者が変な敬語を使う問題も、企業が一番下の現場になんかおかしくないか、と言わないもんだから利用者は間違えて覚えると感じる(特に若年層)。

 なぜなら、言葉についての日本語の知識は覚えなくても普段耳にするから、自分の頭の辞書に蓄積され続ける。(例 東京の人の関西弁)

 

結論

私は、ビジネスマナーなんてものは知らないし、その点については何も言えることはない。しかし、少なくとも町に出れば、ビジネスをしている人は見ることはできる。

 ビジネスマナーを学ぶ必要はあるかもしれないが、外回りの仕事、特に営業の方の話し方や自分がいらつくようなことをしなければそれで十分な気がする。

では、どうすればいい。

人を観察してみよう。そして私たちの心を動かしてくるドラマや映画をみて、感じてみよう。どうしたら、どう感じるのか。

 そして、常識は蓄積物だ。科学のように変わり続けるだろう。世界が変われば経営戦略を変える企業のように私たちも常識を変えることはできると思う。